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Concerto per Trombone (1769)
Johann Georg Albrechtsberger (1736-1809)

トロンボーン協奏曲
ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガー

 ヨハン・ゲオルグ・アルブレヒツベルガーはディッタースドルフ、ハイドン、モーツァルト等と同時期のウィーン古典派に属する作曲家、理論家で、1793年からはシュテファン大聖堂の楽長も務めた。その門下からベートーヴェン、フンメル、チェルニー等を輩出し、彼の名は教育者としてのみ音楽史に挙げられる機会が多いが、フックスの流れを汲んだ厳格な対位法による宗教曲には秀作も数多い。このトロンボーン協奏曲は、彼がシュテファン大聖堂の楽長になる以前の1769年にアルト・トロンボーンとヴァイオリン2部、通奏低音のために書かれたものである。
I. アレグロ・モデラート 4分の4拍子
II. アンダンテ 4分の3拍子
III. フィナーレ アレグロ・モデラート 4分の2拍子

Toccata and Fugue in d minor BWV 565
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

トッカータとフーガニ短調 BWV 565
ヨハン・セバスティアン・バッハ

 バッハの数多いオルガン曲の中で最も親しまれた作品の中のひとつで、タウジヒ、ブゾーニのピアノ編曲やストコフスキーの管弦楽編曲によっても広く親しまれている。正確な作曲年代は不明で、アルンシュタット時代(1703-17)後期の作とするものとワイマール時代(1708-17)初期とするものとの二説があるが、自筆譜が失われており、ヨハネス・リンク(1717-78)の筆写譜によってのみ伝承されていることから、最近では偽作とする説も浮上している。また、トッカータとは本来フーガを伴うことが多く、この作品においてもフーガはトッカータとの内的関連性が深いため、単に『トッカータ』と呼ばれることもある。
 曲の前半部にあたる《トッカータ》とは、そもそも鍵盤楽器のための即興的で技巧的な楽曲で、多くの速い楽句、アルペッジョ、装飾音を含む。この曲においても冒頭の有名な下降音型に続く5つの断片は、急速な音階と分散和音の交替、三連音符形の反復、レチタティーヴォ風の旋律によって構成されている。
 トッカータ部分とフーガ部分の内的関連性は、フーガ主題がトッカータ部分冒頭の素材を用いていることからも明らかである。この主題はさらに上の二声部に順次引き継がれた後、間奏部を経て、低音部によっても呈示される。その後、音階形や分散和音形による間奏部をはさんで、主題は8回にわたって呈示された後、トッカータ部分の再現によって曲を閉じる。

Präeludium et Fuga in D BWV532 (c.1709)
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

前奏曲とフーガ BWV532
ヨハン・セバスティアン・バッハ

 この作品は、彼の生涯において多くのオルガン曲が作られたヴァイマル時代の1709年頃に作られたもので、バッハのもっともヴィルトゥオーゾ的なオルガン曲の1つである。若々しい情熱にあふれるこの曲は、前奏曲の冒頭に見られるような困難な技法への欲求とその克服、といったようなD.ブクステフーデの影響から、さらにバッハ自身の新しい道を歩きだしていったことがうかがえる。
 現在に伝えられたこの曲の幾つかの手稿譜によっては、前奏曲とフーガが1つの曲として扱われていないものもあるが、ニコライの筆写譜に由来するするだけではなしに、この2つには幾つかの関連性が見られる。例えば前奏曲中のアラ・ブレーヴェの模続進行とフーガに密接な関連が見られること、フーガの終結部は前奏曲の冒頭と様式的に似た特徴を持っていること、そして彼のクラヴィーアのための《トッカータ ニ長調 BWV912》中のトッカータ、フーガそれぞれの冒頭がこの前奏曲、フーガそれぞれの冒頭と深く関連していること等が挙げられる。
 曲中でバッハが自身の作品以外のモティーフを変化させて用いている点については、前奏曲中のアラ・ブレーヴェの8分音符動機はコレルリやヘンデルの中に見られること、フーガの輪郭線はパッヘルベルのあるフーガにはっきり予示されていること、フーガの主題の休止中に突然見られる対位旋律はブクステフーデの《フーガ ヘ長調及び嬰へ短調》と関連性があることなどが挙げられる。
 前奏曲はファンファーレのような冒頭で始まる。この冒頭のペダルによる音階は当時としては稀で、この種のパッセージはN.ブルーンスの《前奏曲とフーガ ト短調》に見られる程度である。続くペダルのFisによるオルゲルプンクト上にロ短調の情熱的な旋律が表れ、再びニ長調のパッセージからアラ・ブレーヴェに続く。コレルリを想起させる南方的な明朗さと平静さを持つ進行が、2重ペダルのレチタティーボ風終結部によってフーガに導かれる。このフーガはバッハの調律上の探求との関わりを感じさせるようなシャープ調での転調がみられる。ニ長調からロ短調へ、更には当時では滅多に用いられない嬰へ短調、嬰ハ短調にまで達している。又ホ長調からニ長調に戻るのにイ長調を経由している。燦然としたペダルのカデンツがこの長大な曲を締めくくっている。

Ouvertüre Nr. 2 h-moll BWV 1067
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

管弦楽組曲第2番 ロ短調 BWV 1067
ヨハン・セバスティアン・バッハ

 J. S. バッハの代表的な管弦楽作品としては、《ブランデンブルク協奏曲》とこの《管弦楽組曲》をあげることができるが、前者がイタリアに由来する協奏曲的要素とドイツ固有の多声音楽との結合であるのに対し、後者はドイツ民衆の伝統的舞曲と洗練されたフランス宮廷音楽との融合であるということができる。バッハはその生涯において4曲の管弦楽組曲を作曲したが、それらの全てにおいて共通する点は、冒頭がフランス風序曲で始まる事のみで、後続の各楽曲は各々自由に選択、配置されている。この点においては《フランス組曲》、《イギリス組曲》、《無伴奏チェロのための6つの組曲》等がアルマンド、クーラント、サラバンド、ジーグを根幹とした舞曲の組曲であることと対照的であるといえよう。
この4つの管弦楽組曲は、その自筆総譜が消失しているため、その作曲動機、作曲年代は明らかではない。この第2番に関しては1738年頃、或いはそれ以降に書かれたパート譜が伝承されているが、ブランデンブルク協奏曲第5番と同じく横型フルートが用いられていることから、1721年頃の作ではないかと言われている。楽器編成は横型フルート、ヴァイオリンI・II、ヴィオラ、通奏低音で、7つの楽章からなる。
I.序曲 Ouverture 4/4拍子
  付点リズムが特徴的な緩―急―緩のフランス風序曲。
II.ロンド Rondeau アレグロ 2/2拍子
III.サラバンド Sarabande アンダンテ 3/4拍子
IV.ブーレ Bourée アレグロ 2/2拍子
V.ポロネーズ Polonaise モデラート 3/4拍子
VI.メヌエット Menuet アレグレット 3/4拍子
VII.バディネリ Badinerie アレグロ 2/4拍子
  フランス語の−bainer−冗談を言う−からくる曲名で、特定の舞曲名ではない。構成はスカルラッティのソナタに近い。

Vierzehn Kanons BWV 1087 (c1745) (arr. for Tuba, Cello, Piano)
Johann Sebastian Bach (1685-1750)

種々のカノン BWV 1087
ヨハン・セバスティアン・バッハ

 オルガンのためのたくさんのカノン風コラール編曲や《音楽の捧げ物》BWV 1079、《フーガの技法》BWV 1080における幾つかのカノンと並んで、バッハは一連のミニアチュア・サイズのカノンを書いている。それらはBWV 1072-1078、1086、1087として分類されているが、この中でもBWV 1087は特別なグループを形成している。正確な総題は《先行するアリアのはじめ8つの音符に基づく種々のカノン》とされており、その8つの音符 G-F#-E-D-B-C-D-Gは《ゴルトベルク変奏曲》BWV 988の主題を形成するアリアの第1-8小節のバス音である。バッハはこれを1745年頃、《ゴルトベルク変奏曲》の自家用保存本の余白に一続きのものとして書き込んだ。これら14のカノンのうちの2つは別の形でも伝えられている(第11曲=BWV 1077、第13曲=BWV 1076)。その他の12のカノンはその自家用保存本が1975年に発見されて初めて知られたものである。そのどれもが前述の8つの音符、その逆行型ののG-D-C-B-D-E-F#-G、反行型のD-G-A-B-G-F#-E-D、逆行反行型のD-E-F#-G-H-A-G-D及びそれらの拡大・縮小に基づく2声から6声のカノンとなっている。本演奏会では第12、13曲を除く12のカノンが1-4、5、6-7、8、9、10-11、14の7つのグループに編曲され、テューバ、チェロ、ピアノの編成で演奏される。

"Dutch"suite in G major (S-16)
P. D. Q. Bach (1807-1742?) Dredged up and edited by prof. Peter Schickele

「オランダ」組曲
P. D. Q. バッハ

 以下の文章は楽譜冒頭に表記されている前文の訳である。
 「P.D.Q.バッハの“オランダ"組曲について述べられることは“下の"(=nether)ようなことである。それはタイトルで述べられている国名であり、使用されている楽器の音域であり、この作品に対する霊感と職人精神の質であり、そして(おそらく)彼が作曲を行った場所(彼はほとんどの作品をピアノの下で作曲した)である。
 偉大なるJ.S.バッハの最後でありたった1人の子孫である彼がオランダを訪れたのは、十中八九、"偉大なる放浪の時代"であると思われる。
 1曲目を献呈されているミニュイット氏は現在のニューヨークを造ったピーター・ミニュイットの子孫であるかもしれないということは、全く如何わしいということではない。有名な画家であるルーベンスによって、P.D.Q.バッハの訪れる1世紀以上前に設立された動物園で見られる動物たちについて言及したのが、"黒豹の踊り"であるということもまた全く如何わしいということではない。"低地のフリング(活発な踊り)"(訳注:イギリスのhighland flingに似たものではないか)はよく知られている踊りで、オランダでは未だに踊られている。この踊りは普通海面下の土地で踊られ、"おじぎ"が特徴的である。J.S.バッハのフランス組曲やイギリス組曲に比べると些細でちっぽけなこの"オランダ"組曲は彼の長すぎた創作生活の中の"悔恨の時代"に作曲された。尚、彼の時代と現代のテューバには音量の点で大きな差があり、バランスを解決するために布でミュートされる。」
本演奏会では1,2,4曲目が演奏される。
1.Mr.Minuit's Minuet
2.Panther Dance
4.The Lowland Fling
(訳注:本気にしないで下さい。)

Third Symphony Op. 89 (1995)
James Barnes (1949-)

第3交響曲 作品89
ジェイムズ・バーンズ

ジェイムズ・バーンズは、カンザス大学で学び、現在、同大学の教授を勤めるとともにコンサート・バンドの指導にもあたっている作曲家である。数多くの吹奏楽曲を作曲し、日本においても演奏される機会は多い。この交響曲第3番は、ワシントンの米国空軍楽隊とその当時の隊長、アラン・ボーナー大佐の委嘱により作曲された。当初、1995年12月に同空軍バンドにより初演される予定だったが、演奏旅行が中止となったため、1996年6月13日、大阪市音楽団による演奏が世界初演となった。フルスコアの冒頭に彼によるこの曲の解説がなされているので、以下引用する。

―(前略)―私はこの仕事に取り掛かった時、人生において大変困難な時期を目の当たりにしていた。私達の最初の娘であるナタリーを失った直後であったので、もしもこの曲に表題をつけるならば、『悲劇的』と呼ぶのが妥当であろうか。
 この作品は絶望の深い暗闇から成就と喜びの輝きへと進んでいく。第1楽章は挫折、苦難、絶望、落胆といった、娘を失った後の私的な感情の全てが反映している。スケルツォ(第2楽章)は風刺、ほろ苦い甘味を持ち、其れゆえ世の中のある人々の尊大さや自惚れといった感情に関係している。第3楽章はナタリーが生きている仮の世界のための幻想曲であり、また彼女への別れの挨拶でもある。終曲(第4楽章)は魂の再生、我ら全てのための赦しを象徴している。最終楽章の第2主題は古いルター派の賛美歌『神の子羊』"I am Jesus' Little Lamb"に基づいている。この歌はナタリーの葬儀の時に歌われたものである。歌の最後の詩節は次のようなものである。

私ほどの幸せが誰にあるでしょうか
神の子羊である今の私のように
私の短い生涯が終わったときには
主に仕える万軍の天使によって
主の胸に抱かれるのでありましょう
ああ、主の腕の中の休息

 この交響曲の完成から3日後、1994年の6月25日に息子であるビリーが生まれた。第3楽章がナタリーのためであるならば、終曲は正にビリーのためであり、姉にあたるナタリーの死後彼を授かった我々の喜びでもある。―

 吹奏楽曲としては極めて大きな編成が用いられているが、曲の構成は伝統的な4楽章の構成で、自由なソナタ形式の第1楽章、ABA形式の第2楽章、ABCABCの形式をとる第3楽章、ソナタ形式の第4楽章からなっている。第1楽章と第4楽章はリズム、動機の取り扱いの点で特に関連性を持っている。曲中では管楽合奏の様々な可能性が試みられ、その試みの成功によって、演奏会用バンドを弦楽器の欠けたオーケストラの様に扱うことなく、幅広い音楽表現を獲得しているといえよう。
I. Lento-Allegro Ritmico
II. Scherzo
III. Mesto (for Natalie)
IV. Finale: Allegro Giocoso

Sonata F Dur op.17 (for Horn) (1800)
Ludwig van Beethoven(1770-1827)

ソナタ ヘ長調 作品17 (ホルンのための)
L.v.ベートーヴェン

 当時最も有名なホルン奏者プント G.Punto(本名はシュティヒ J. W. Stich)の知遇を得たベートーヴェンがウィーンにおける彼の演奏会のために一晩でかきあげたといわれるソナタ。ベートーヴェンのその他の作品の創作過程からみて、このようなまとまった作品が一晩でかきあげられたということには疑問の余地があるものの、当時としては珍しい組み合わせであるこの特殊な作品が、プントという特殊な演奏者との出会いによるものだという点はまず間違いないだろう。当時のホルンはまだナチュラル・ホルンと呼ばれるヴァルヴのついていない楽器で、唇の形や右手の構え方、管の長さの変更、といった技術を駆使して半音階を演奏しなければならなかったので、非常に難度の高い楽器であった。プントはこの楽器の名手で、独奏者として非常な人気を博していたという。この曲のホルン・パートも彼の名人芸を発揮させるべく作曲されており、初演は1800年4月18日プントとベートーヴェンによって行われた。翌1801年には出版の運びとなり、ウィーンのモロ社から初めて出版されたが、そのときの表題は《ホルン又はチェロを伴奏とするピアノのためのソナタ》というものであった。初期のソナタにはこのような「〜を伴奏とするピアノソナタ」という表記がよく見られるが、事実そのようなコンセプトで作曲されたものであり、このソナタにおいてもピアノ・パートが重要な位置を占めている。チェルニー C.Czernyによると、出版時に付加されたチェロ・パートはベートーヴェンによるものであり、このチェロ・パートにはオリジナルのホルン・パートにさらに追加されたフレーズが所々にみられる。

第1楽章 アレグロ・モデラート、ヘ長調、4/4拍子、ソナタ形式。
第2楽章 ポコ・アダージョ・クアジ・アンダンテ、4/4拍子、ヘ短調。楽章と呼べるほどの規模ではなく、寧ろ第3楽章への序奏をなすものである。
第3楽章 ロンド、アレグロ・モデラート、ヘ長調、2/2拍子、ロンド形式。

Symphonie fantastique - épisode de la vie d'un artiste op.14a (1830/31)
Louis Hector Berlioz (1803-1869)

幻想交響曲―ある芸術家の生涯の寓話 作品14a
エクトル・ベルリオーズ

 ベルリオーズが23歳のときに知った女優スミッソン Harriet Smyhson への失恋から生まれた自叙伝的なこの作品は、抒情的モノドラマ《レリオ―生への復帰》 Lério, ou Le retour à la vie op.14b (1831-32) という続編と対を成している二部作の第一部である。
 この交響曲の大きな特徴は、交響曲という枠組を持ちながら、音楽はあるあらすじ=プログラムによって進行していく、描写的な標題音楽であるという点で、この発想は後のロマン派音楽に大きな影響を与えることになった。1830年12月5日、パリ音楽院の演奏会で初演されたが、この年はベートーヴェンの第9交響曲の初演の僅か6年後であり、大規模な楽器編成やその使用法などの点から考えても、この交響曲は当時としてはかなり前衛的だったと述べることが出来よう。全体及び各楽章の標題(プログラム)は、次の通りである。

 病的な感受性と、豊かな想像力を持った若い音楽家が、恋の悩みから絶望して阿片自殺を図る。薬は服用量が少なすぎて死に至らなかったが、奇怪な一連の幻覚を伴った深い眠りに彼を投げ込んだ。感覚や情緒や記憶が彼の病んだ心を通過すると、それは音楽的な心象に変えられた。恋する女性も一つの旋律として捉えられ、固定楽想として(ideé fixe)常に現れる。

第1楽章 夢・情熱 Rêveries, Passions
 最初、彼は魂の疲れ、憂鬱を、また憧れと当ての無い喜びを覚える。それらは、彼が恋人に出会う以前に経験したものである。それから、彼女によって呼び起こされた熱烈な愛情を、魂の狂気的な切望を、再燃した彼の恋への強烈な嫉妬を、そして宗教的な慰めを思い起こす。

第2楽章 舞踏会 Un bal
 舞踏会のホールでの華やかな祭りの騒ぎの最中に、彼は再び恋人を見出す。尚、この楽章には改訂前コルネット・ソロのオブリガートが加えられていた。

第3楽章 野辺の風景 Scène aux champs
 田園での夏の夕暮れ、彼は2人の羊飼いの若者が笛でお互いに呼び合うのを聴く。この羊飼いのデュエット、微風によってかきたてられる木々の穏やかなざわめき、最近彼に知られるようになった希望へのある根拠―これらのものが1つになって、彼の心は穏やかな静けさによって満たされ、彼の空想は明るく彩られる。しかし恋人が再び現れ、彼の心は痙攣し、暗い予感に満たされる。もしも彼女が彼を捨てたならば? 羊飼いの一人が笛を再び吹き始めるが、その応答は無い…日は落ちる…雷鳴の遠い響き…孤独…静寂。

第4楽章 断頭台への行進 Marche au supplice
 彼は夢の中で恋人を殺す。彼は死刑を宣告され、断頭台へと引かれて行く。その行列には、あるときは憂鬱で荒々しく、あるときは華やかで荘厳な行進曲が伴う…騒然とした感情の爆発が現れるが、それは直ちに規則正しい歩みによって続けられる。最後に、愛への最後の思いのように彼女の固定楽想が一瞬現れるが、それは斧の落下によって切り取られる。

第5楽章 魔女の夜宴の夢―魔女のロンド Songe d'une nuit du Sabbat- Ronde du Sabbat
 彼は幽霊や魔法使いやあらゆる種類の恐ろしい化け物に囲まれた魔女の夜宴―それらは彼の葬式に参列する為にやって来たのだが―に臨席している夢を見る。無気味な音、唸り声、甲高い笑い声、遠くからの叫び声。それらにまた他の者が答えているようだ。恋人の旋律が聞こえてくるが、それは気高さや慎ましさを最早失って、下品でグロテスクな踊りになっている。彼女はこのサバトに出席する為にやって来たのだ。唸り声と叫び声が彼女の到着を歓迎する…彼女は地獄の饗宴に加わる…葬式の鐘がなる…《怒りの日》 Dies irae の滑稽なパロディー…魔女のロンド…そして《怒りの日》と魔女のロンドが共に聞こえてくる。

Halil (1981)
Leonard Bernstein (1918-1990)

ハリル
レオナルド・バーンスタイン

 まずはスコア冒頭の作曲者自身の言葉を引用しよう。

 ―《ハリル》は「ヤーディンと戦死した彼の同胞達に」捧げられている。ヤーディン・タネンバウム Yadin Tanenbaumは1973年のイスラエル戦争で戦死した才能豊かな当時19歳のイスラエルのフルート奏者だった。(ヘブライ語でフルートを意味する)《ハリル》は形式的観点からは私がこれまで書いてきたどの作品とも違っているが、また調性的な力と無調的な力との闘争、という点で今までの多くの作品と似通っている。ここでの闘争とは、戦争に伴う闘争であり、戦争の脅威、生に対する圧倒的な願望、芸術と愛の慰め、平和への希望といったものを闘争だと感じているのだ。この曲は言うなれば夜の音楽であり、その冒頭の12音音列から曖昧で全音階的な終止に至るまで、夜のイメージが衝突し合う。希望の夢、悪夢、休息、不眠、夜の恐怖。そして「死の双子の兄弟」である眠りそのもの―

 初演は1981年5月27日、テル・アヴィヴにおいてJ. P. ランパルのフルート、作曲者自身の指揮でのイスラエル・フィルによる。全曲を通じてのモティーフは序奏である冒頭部に示された音列に基づき、大きく分けて四つの部分からなる。変ニ長調による第1提示部、リズミックな第2提示部、打楽器を伴った長大なカデンツァ、そして(ここまで影のように寄り添っていた)アルトフルート、ピッコロを含むオーケストラのみによって奏されるコーダ。前述のように、全音階的なソロ・フルートの2音によって曲は閉じる。
冒頭に挙げたプログラム・ノートを彼は次のような言葉で締めくくっている。

「私はヤーディン・タネンバウムに会った事は一度もないが、彼の精神を知っている。」

Sonatine
Eugéne Bozza(1905-1991)

ソナチネ
ウジェーヌ・ボザ

 フランスの作曲家、指揮者であったボザは、同時代の作曲家アンリ・トマジ Henri Tomasiと同じく、管楽器や管楽器を含む室内楽の演奏会のプログラムにしばしば登場する名前である。両人とも多様な編成の管楽器の為の作品を残しているが、《トランペット協奏曲》、《アルト・サキソフォン協奏曲》などが知られるトマジに比べて、ボザはこの《ソナチネ》のような小品の分野に多くの作品が残されていることは興味深い。
 彼は、2本のトランペット、ホルン、トロンボーン、テューバによる五重奏の編成の為に6曲の作品を残しているが、1951年に作曲された《ソナチネ》は、その中でも代表作といえよう。有名なギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団(フランス親衛隊軍楽隊) のメンバーによって委嘱されたこの曲は、Allegro vivo、Andante ma non troppo、Allegro vivo、Largo-Allegro vivoの短い4つの楽章から成っており、スケルツォ的な第3楽章では、ラヴェルの作品からの引用がみられる。各パートとも技巧的であるが、金管楽器の色彩感を感じさせる。

Fantaisie Concertante (1960)
Jacques Castérède (1926-)

協奏的幻想曲
ジャック・カステレード

 テューバという楽器は19世紀前半、ロマン派の時代に開発されたものであるが、当時の楽器製作者らによる開発競争の影響から、現在に至っても各地域によって名称、形状、調性の異なる楽器が幾つか存在する。この《協奏的幻想曲》は、バストロンボーン、テューバ、サクソルン・バスのいづれかとピアノのための曲という指定がなされているが、ここでいうテューバとは一般にフレンチ・テューバと言われる楽器で、通常オーケストラで使われるC調のテューバの1オクターヴ上の小型の楽器である。サクソルンはサクソフォーンの発明者として知られるサックス A.Saxの発明した(そのためか専門書においてもこの2つが混同されることが多い)ピストンをもつ金管楽器で、ソプラノからコントラバスまでのグループから成り立っており、各楽器間の音色の統一が図られていた。現在ではサクソルン・バスはフランスにおいてのみ用いられているものの、その他の楽器はほとんど使用されていない。
 フランスの管楽器のための作品という分野においては、パリ国立高等音楽院の卒業課題として作曲されたいわゆる「コンクール用小品」の果たす役割は大きい。この曲もそういった作品の一つで、パリ国立高等音楽院のバストロンボーン、テューバ、サクソルン・バス科の前教授ベルナール P.Bernardに献呈されている。作曲者のカステレードはパリにおいて教鞭をとっている人物で、室内楽曲からオーケストラ曲に至る幅広い分野での作品を発表している。曲名が示すようにソロとピアノは協奏的な関係をもっており、アッチェレランドやリタルダンド、頻繁に起こる拍子の交替といったリズム構造を用いたファンタジックな性格が特徴的である。

4 Escenas Latinas (1992)
Enrique Crespo (1941-)

4つのラテンの情景
エンリケ・クレスポ

 本来伴奏楽器であるテューバを独奏楽器として扱う、という考え方はオーケストラにテューバが普及し始めた19世紀後半から20世紀前半に至るまでほとんど見られなかった(もちろんオーケストラ曲の中で重要なパッセージを受け持つことはしばしば見受けられるし、前述の「コンクール用小品」の幾つかや何種類かの編曲物は20世紀前半のものである。)。本格的な独奏曲のプログラムはヴォーン・ウィリアムズ R.Vaughan Williamsの《テューバ協奏曲》やヒンデミット P.Hindemithの《テューバ・ソナタ》に端を発する第2次大戦以降の作品で占められている。この《4つのラテンの情景》は著名なテューバ奏者ヒルガース W.Hilgersのために作曲家でトロンボーン奏者としても有名なクレスポが作曲したものであり、クレスポの生まれたウルグアイを中心としたラテン・アメリカの音楽のスタイルによって書かれた4つの楽章からなる組曲である。
第1曲 Candombe (カンドンベ)
元はウルグアイのモンテヴィデオのカーニヴァルで踊られる儀式の踊り。
第2曲 Tango (タンゴ)
第3曲 Balada India (バラーダ・インディア)
この楽章は舞曲の形式ではなく、クレスポのアメリカ・インディアンへのオマージュである。
第4曲 Choro (ショーロ)
ブラジルの代表的な舞曲の1つで、ヴィラ・ロボス H.Villa-Lobosもこのスタイルをよく用いている。

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